お手にとってご覧ください

私も最近になって買い物にネットを活用するようになりました。
実はいままでネットショップというものを若干敬遠していたのです。

パソコン自体には、それなりに理解を持っているほうだと思いますし
仕事にもPC/ネットは大いに活用しております

ではなぜ敬遠するのか?
あるいは、根っこの部分にまで理解が及んでいるせいで
むしろ信用していないのかもしれません(^^;)

以前は「ネット」というざっくりした呼び方ではなく
「○○サーブのパソコン通信」という呼び方をしておりました
ちなみに、通信機器もモデムですらなく「カプラ」の頃です(^^;)
しってます?カプラ
(多分、インターネット世代の人は大部分が知らないでしょう)

残念ながら、カプラ時代のパソコン通信は、私も実際にやったことは無いのですが
雑誌などで通信している写真を見ては胸をときめかせていたものです。
とても信じられないでしょうが電話の受話器を
「窪みが2つ付いた機械(←これがカプラ)に乗せて接続するのです

受話器からは
「ぴーーーがーがーがががっがーーがぴーがー」
という音がします(^^)

その音をカプラが拾ってデータのやり取りをするのです
なんてアナログな!
でも、当時はこれが普通だったのです

・・・・はっ!?いけない
このままでは今日の話題が「ぱそこん今昔物語」になってしまいそうです

ネット通販の話です、今日は

そんなわけで、以前はネットというものは
一部の識者と好事家だけのもので
不特定多数のネット初心者があふれていて
さらにその個人情報を狙う悪者の構図というものは
ありませんでした(少なくとも表立っては)

ネットワークに繋がるためにはそれなりの知識を要しましたし
問題があれば自力で解決できるだけの人達が活用しているという
ある意味、特殊な世界だったのだと思います

それが今や、ごく身近にネット空間が存在し
その中でひとつの社会が形成されています
ほとんど、何も考えずにネットに繋がってしまうご時世です

私のように感覚の旧い人間にとって、
実感というか「触感」というか、ナマの感覚が伴わない
やり取りというのは今だに得体の知れないものなのです

そこへ現実の現金を投入するというのが
どうしてもなじめなくて、ましてや
それ自体があいまいな「カードマネー」などを組み合わせようものなら

一体お金ってなんだろうね??
という疑問と不安が常に付きまといます

実際のところ、この不安も「慣れ」の要素が大きく
取引の成立を何度か繰り返すとやがて日常になってしまいます
こんな私でもそうなのですから

最安値を検索して、実際に店頭で買うより安く手に入ると
お得感を感じてしまいます

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でも私の場合、買い物という行為で得るものが
他の人とちょっと違うかもしれません

思い入れのあるもの
買ったらきっと愛着がわくであろうもの
そういうものは、今だに店頭で買うことが多いです

最近の例では(2年前ですが)デジタルカメラ
しばらくの間、安いコンパクトなもので済ませていたのですが
久しぶりに琴線に触れる出会いとなったのが、これ

081
私のモデルはブラックです

いわゆる一眼レフよりもぐっと小さなボディに
最先端の性能を凝縮した珠玉の一品(と、私は思っております)
購入資金をためている最中は、雑誌などで情報を読み漁り
使っているシーンを妄想しては呆ける、というちょっと
変態っぽいことまでして気分を高めておりました

街に出て時間のあるときは電気屋に寄り、
展示品を手にとって、シャッター音を堪能し
ちょっとニヤニヤして、また来週、みたいな

そんなことを繰り返して、
ようやく念願かなって手に入れたときは
それはもう、ねぇ?

いつも店頭にあるカメラを見ながら
俺が買うまで待ってろよ!という、
(↑実際手にするのは在庫品だとしても)
買うまでのプロセスまで楽しみたいと思ってしまう人なので

あとは、音楽のCDなんかは買い物プロセスが楽しいものです
今では「配信」なるものが流行っているらしいのですが
私は一度も使ったことがありません

音楽が聴けるだけではやはり物足りなくて
手に触れる感覚、現実感が伴って
初めて満足が得られる気がします

特に、わたしの場合はマイナーなアーティストのものが多いので
ほとんどの場合、お店に並んでいないことが多いのです
それでも、特に下調べ無しでショップに入り
名前を探して歩く感覚が、宝探しのようでとても好きです

有るか、無いか、
多分無いと思うけど、でもあったらうれしい
そうして実際に名前を見つけたときは
もう、それだけでお金を払う価値を見出してしまうほどです

でも、友人などにはその感覚が全く分からないらしく
私がわくわくしながら名前探しのプロセスを楽しんでいる横で
検索機であっさり見つけて「はい」と手渡してくれたりして・・・・

なんてことしてくれるんですかー!!

と、心で悶えてがっかりしながらお金を支払うということも
しばしばありました(←見つかったのに、何故かがっかり)

まあ、これはかなり特殊な例だとは思いますが
でも、音楽CDならジャケットも楽しみたい、とか
洋服なら実際に試着してみたい、とか
手に持って使う道具なら手になじむものを選びたい、とか

買い物の楽しみってそういうところにもあるような気がします
それが愛着につながり、長く愛用することにもなるのではないかなと思います

ものを買うのが買い物、でも買うまでの一連の行為も買い物

安くて手軽、それもいいけれど
ときには、そのものだけじゃない
「実感」に時間とお金をかけてもいいんじじゃないかな
と思っています
作り手としても、ね

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