田舎の情景②

私の住んでいるところも
いよいよ梅雨入り間近となりました

心配されていた水不足も解消し
水田の稲の生育はまずまずといったところ

うちの田植えはいつも家族総出で行います
田植え機の操作はいつも父がしていたのですが
今年は私がその役をおおせつかりました
なにぶん、初めての事なので
くねくねと曲がった植え方になってしまいました
来年はもっときれいに植えたいと思います

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私は子どもの頃から農業機械が大好きで
トラクターなどは7歳ころから乗っていました
たぶん、農家の子どもはどこも似たようなものだと思います

自動車と違い、低速で動くトラクターは
子どもにとってもわりと動かしやすいものでして
(↑決して勧めているわけではありません、念のため(^^;))
圃場での運転は子どもながらに楽しい作業?でした

堆肥を畑に等間隔で降ろしたり
また、刈り取った草を積み込んだりなどの作業は
作業 ⇒ トラクターに乗る ⇒ 少し前進 ⇒ トラクター降りる ⇒ 作業 ⇒ トラクター乗る
と、乗ったり降りたりが非常に面倒な作業になるのです
そのため両親は、私を頻繁に活用してくれました

あらかじめ、副変速機を低速にしてもらって
あとは私がゆっくりのそのそと動かすのです

両親はトラクターの後ろを付いて歩きながら作業をして、
私は合図にしたがって前進・停止を操作する
すると、とても効率がヨイ、となるわけです

もちろんその頃は身体が小さいわけですので
シートに腰掛けるとペダルまで足が届きません
そのため、ステップに直立の状態で乗って
クラッチペダル(とても重い!)を踏むときは
全体重をかけて上から踏みつけるようにして
操作しておりました

動力で動く乗り物はそのころの私にとって
とても刺激的で、機会を見つけては
運転席に飛び乗ったものでした

懐かしい思い出・・・

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ところで、農業機械の ど真ん中に位置するこの汎用トラクター
私の知る以前は外国製の大型のものしかなく、
そのころ普及していたのは、もっぱら耕運機だったそうです

さらに年代をさかのぼってみると、
その前はいきなり「馬」になります
耕運機と馬の間にはけっこうな隔世を感じてしまいます
カラー写真が白黒写真になったような
ちょうど私の記憶の萌芽も白黒写真の終わり頃と重なっているため
余計にそう感じるのかもしれません

当時の農作業は、それ無しでは考えられないほど
馬というものが重要だったそうです

馬に唐鋤というものを曳かせて田畑を耕すのだそうですが
なにしろ相手は生き物
調子の良いときはすいすいと、はかどるのですが、
馬が機嫌を損ねたり、ときには物音に驚いて暴走したりと
かなり大変だったようです

実際、毎日どこかしらで暴走している馬を見かけたそうで
蹴られたりはねられたり、といった危険とも隣り合わせ

そんなあるとき
うちの集落に、あるうわさが広がりました
「なんでも、馬の代わりになるものがくるらしい」、と

その頃の情報源のほとんどが、うわさ話
そして、娯楽の乏しい山村の集落の人たちにとって
めずらしいもののうわさとなると、瞬く間にひろがるものです

こうして、その「馬の代わり」というものが
はじめて集落にやってきたときのこと

その日、ある家の畑に人だかりができていました
みんなその「馬の代わり」を見に集まってきたのです

大勢の人が見守る中
初めての「耕耘機」が動き始めました
爆音を立てて自走しながら畑を耕して行くその姿に
村人達はみな興奮し、文明開化の光を感じたことでしょう
そして、やっと馬の苦労から解放されると
誰もが思ったに違いありません

ところが事件はすぐに起こりました
畑の端まで行った所で反転するはずが
機械を止められず、そのまま斜面に乗り上げ
耕耘機は横転、その弾みで燃料がこぼれマフラーから引火・・・・

みんなが見守る中
最初の耕運機は見事に炎上してしまったそうです
それを見た集落の人たちは思いました

「やっぱり、馬でないとだめだね」と

そのようなわけで
うちの集落では、耕運機の普及が一時もたついた
という逸話が残っております
(↑どうでもいい話)

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菖蒲の日

うちは旧い風習がまだ少なからず残っております
その中でも、菖蒲(しょうぶ)を飾る風習は
わりと一般にも知られているかと思います

旧暦での5月5日は端午の節句
その前の日の晩には軒に蓬(よもぎ)と菖蒲(しょうぶ)を飾ります

私の両親は、ともに健在ですので
こういった節目の行事の日取りはお任せしてしまっています
具体的にいつだったかというのはちょっとあいまいで
毎年言われてから気づく有様です・・・

年中行事の中でも、正月の注連縄飾りなどは
購入して済ませるようになってしまいました
(祖父が健在だった頃は自家製でした)
しかしながら、菖蒲とヨモギを買って済ませる、というのは
まだちょっと抵抗があります

幸い、うちの田んぼの周辺には沼地があり
そこには菖蒲が自生しております
今年は私が採取する役を仰せつかりました
(このようにして伝統は受け継がれていくのです、・・・たぶん)

田んぼのあぜ道から斜面を下って
湿地の縁に足を止め
ぎっしりと生えている水棲植物を眺めます

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菖蒲の見分け方は、独特の匂い
菖蒲と思われる葉を一本引き抜き
匂いを確かめてみる・・・・。

匂い無し。。。

どうやら違ったみたい
花のつぼみが付いていることから
たぶんアヤメでしょう(^^;)
(注:「しょうぶ」と「あやめ」
どちらも漢字では「菖蒲」と書きます、こまったものですね)

しばらくあたりを探してみたのですが・・・
収穫無し、困りました

おとーちゃん、菖蒲が無いっスよ。
昨年までの担当だった父に相談すると
探し方を教えてくれました
(伝統はこうして受け継がれていくんです、きっと)
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鎌で葦やそのほかの草を掻き分けて
刈り進めると、ようやく小さな菖蒲が見えてきました

う~ん、小さいし少ない。。
聞くところによると、年々減ってきているとのこと

ちょうどそこに、お隣の家のおばあちゃんが
やはり菖蒲を取りにやって来ていました
お隣の場所にはまだ少し残っていて
遠慮なく持っていきんしゃい、とのご好意

一本手につかんで引っこ抜くと
たちまち周りに拡がる強い芳香!
ん~! これだこれ
ありがたく頂戴して家に持ち帰りました

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子どもに頃に聞いた
菖蒲と鬼の昔話
家の軒先に飾っているときに
父と話したのですが
話の細部が私の知っているものと
だいぶ違うなあという印象

共通しているのは
鬼から逃げるときに
菖蒲の藪の中に逃げ込んだところ
剣のような菖蒲に身体を切り裂かれて
鬼が退散するということ

そのときの名残で
魔よけ・厄除けに
家の軒先に蓬と菖蒲を飾るようになったそうです
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先生の樹

藤の花ももうすぐおわりそうです
山の緑も、日ごとに色濃くなり
梅雨の季節が終わると短い夏がやってきます

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私にとってこの6月というのは、
どうもよろしくないことが多いのです

具体的に何がどうよくないのか?
これがまたはっきりとは分からないのですが・・・

気持ちがぐらぐらしたり
イライラしたり
やる気が出なかったり・・・
結構な失敗をやらかしたりすることもあります

なるべくこの時期を平穏無事に過ごしたいので
今年は積極的に外へ出ることにしています

先日は盛岡へ行って
『道具屋』さんというショップへ
お邪魔いたしました

お店のお二人に
しあわせオーラを分けていただいて
だいぶ気持ちが上向いてきているところです

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気晴らしといえば、
写真を撮りながら散歩することです

この季節は毎日いろんな植物が見られるので
予定していた散歩距離の十分の一も歩けずに
写真だけ撮っているということもしばしば
気晴らしになるなら、これはこれで結構ですけど(^^;)

先日、家の周りの草刈をしていて
しばらくぶりに目を向けました

「先生の樹」

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小学校の頃、
私は学校が終わると
ほぼ毎日のように児童館へ遊びに行っていました
まあ公営の学童保育、的なものですね

目的は、児童館の先生
『スミ先生』と呼んでいたその先生は
今の私を形作っている要素の大きなものを
私に与えてくれました

化粧っ気などとは無縁の
とても快活で活動的で
子ども達と走り回って遊んでくれました

もちろん私もボールを蹴ったりなどして
遊んでもらったものですが
私が一番好きだったのは
一緒に野山を散歩すること

話に聞く、
「昔の子どもは~」をそのまま体現して見せてくれた
日々の野遊びは私にとって何よりも楽しく興味深く・・・
今、私の持っている自然への関心と知識は
このときに育まれ、原点を成しています

天気がよく、
児童館に子どもが少ない日(←ここがポイント!)は
よく、一緒に里山を散歩しに連れだって行ったものでした

春は山菜、秋はきのこ
道で見かけた草花の知識を話してくれたり
自生していて食べられるものの見分け方を聞かせてくれたり
そして、その場で採取して持ち帰り
児童館で一緒に料理して食べさせてくれたり・・・

ちょうど今頃、田植えの時期には
田んぼのあぜ道に生えているアサツキやノビルを採って、
田んぼの用水路に迷い込んだ岩魚(←よくいる)を捕獲して、
帰り道に近所の農家で世間話をしつつ、余剰野菜を頂いて、
児童館に帰って、それらの材料でひっつみ汁(スイトンのようなもの)を
作って食べたことは今でも鮮明に覚えています
(岩魚は焼干しにして出汁を取るのです(^^))

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春先に児童館の裏山を一緒に散歩していたときのこと
(当時の児童館は誇張抜きで『山の上』に建っていたので四方を山に囲まれていて、遊びのロケーションとしては最高でした)
その日は「たらの芽」を取りに行っていたのですが
山道の途中で、先生は道の真ん中に生えていた
小さな、ちょうど苗木くらいの大きさの木を
無造作に引っこ抜いて
「これうちに持って帰って植えるといいよ」
と言って持たせてくれました

家に帰った私は
さっそく、庭の真ん中にスコップでせっせと穴を掘って
その『木』を植えました
当時は何の木かは分かりませんでしたが
先生がくれたのだからきっとすばらしいことに違いない!
そして、この木が大きくなったらきっと素敵に違いない!!
と何の迷いも無く家の前に植えました

で、
帰ってきた父に開口一番怒られました

「誰だ!?こんな所に木植えたやつぁ!?」

・・・・・・・

まぁ、ね。
家の前は駐車場でもあり、
一応、私的には車の通れる空間をきちんと計算して植えたのですが
そういう問題では無かったらしく(^^;)

問答無用で掘り返された木を見て
私は号泣しました

で、父はしぶしぶというか
妥協案として、家の後ろの斜面に
植え替えました

あれからもう25年くらいにはなりますね
その『樹』は枯れることなく
大きく成長して現在では身の丈の4倍にもなっています

あのあと、徐々に関心も無くなり
いつしか忘れていたのですが
この仕事に就いてふと思い出したのです

知識のある今ならこの樹が何であるか
ちゃんと分かります

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街路樹によく用いられる樹で
新芽は色がさわやかで産毛を纏っているようにも見えます
森には散在していることが多く
大木なることはあまりありません
木材としては優れた点も多いのですが
流通量が少なく
質のよい大きなものは銘木として
価値があります

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あの時、先生は
きっと何気なく持たせてくれたんだと思います
深い意味も無く

でも、その時の樹が
こうして大きく成長し
今の仕事の自分と繋がっていることに
不思議な縁を感じます

スミ先生は今もご健在
どうか末永く御元気で

1人のご厚意をいただいております

週末の憩い

楽しい時間もいつか終わりが訪れます
寂しいなぁ、そう思っているのは私だけではなかったみたい
たくさんの人に惜しまれながら、終わってしまったもの

ちょっと、時期を逸してしまった気もしますが
今日のお話は、3月末で最終回を迎えてしまった番組のお話

土曜日の夕方5時、仕事終わりの時間に流れるラジオ番組
『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー』

シェーカーを振る音、
客のざわめき
流れるジャズ・・・
そして、いつもの変わらない
『常連』達の日常会話

舞台となるお店が『実在する』という設定だけあって
背景描写や劇中の効果音、そして魅力あふれる人物など
まるで本当にお店でくつろいでいるような雰囲気を味わえる
素敵な番組でした

自営業であり、普段から曜日感覚の乏しい私に、
今日が週末であることを思い出させ、ひと時の休息と安らぎを与えてくれる
かけがえのないものでした

夏になると、番組の開始に合わせて缶ビールを開けて、
『教授』と一緒にカウンターで飲んでいる雰囲気を味わったりしたものです

実際、この番組がきっかけでお酒について興味を持ったり
Barに足を運ぶようになったりしたもので
週末はAVANTIで一杯、というのは私の(妄想とはいえ)生活の一部になっていました
調べたところ、この番組は21年もの長きにわたる歴史があるそうで・・・

正直、最終回というのは唐突でした
バーテンダーのスタンさん(グレゴリー・スターさん)が引退するということを
聞いたときには、ココロが波立つものを感じました
それでも、後任のバーテンダーが紹介され
『いつもどおり』にまた来週があると思っていただけに・・・

寂しいですねぇ、実に

最終回の放送は、いつもと全く変わらない『日常会話』が流れていました
カッコいいですね、いつもどおりに終われるなんて
なるほど、
私は寂しくてちょっと納得いかない終わり方でしたけど
巷ではそれぞれのリスナーさんがそれぞれの受け止め方をしてらっしゃって
これはこれで、
ある意味、最高の終わり方なのかな、と

名作や大作と呼ばれるものは、
時々、本人や当事者とは関係ないものの意図や都合で、
強引に延命されたり続編が作られたりすることも、ままあることで
終わるべきときに終われるって、幸せなことなのかもしれないです

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ラジオ番組というのは、
現代の社会の中にあって、時勢に流されにくい
ちょっと不思議なメディアのような気がします

ずっと昔に聞いていた番組が、
10年以上ブランクがあって、ふとしたときに耳にする機会があって
「ああ、まだ続いてたんだー」
と、懐かしさを感じてまた聞き始めたりすることがあったりして

いろんなもののサイクルが早くなってしまった今
ふと、思い出したときに、
いつでも帰れる場所、みたいな
そんな存在のような気がします

AVANTIはわたしにとって、正にそんな場所でした
週末の夕方・・・
ぽっかりと空いたわたしのココロの隙間を埋めてくれるものは
当分見つからないのかもしれないなぁ・・・

1人のご厚意をいただいております