余白の味がするひと

食堂やレストランに入ったとき
カレーライスの香りがすると
瞬時に頭は「よし、今日はカレーライスだ」となってしまいます
カレーに弱い私

そんなことを思い出した、今日の曇り空の下
先日、余白について書いたので
少し余白を楽しんでみようと
珍しく料理などを企んでみています

カレーライスは余白の味だと思う私

料理の専門家がおっしゃるには
カレーは時間と手間をかけるほど美味しくなるそうな

手軽にも作れるけど
手間をかけるとちょっとしたご馳走にもなる
なかなか奥の深い料理
暇なときには、「カレーの具材」という議題で
ひとつ会議でも打てそうな、心躍る魅惑の食べ物

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社会人になってから
他所様の御宅にお邪魔してお料理をご馳走になる
という機会が時々ございます
家庭の味、おそらくそこだけにしかない味です

幸い、わたしは食べ物に好き嫌いがほとんど無く(唯一、プロセスチーズが食べられません(^^;))
なんでも美味しくいただくことができます
それとは別に、
家庭の料理をご馳走になって、
これは不味い、食えたもんじゃない!
という料理にも出会ったことがありません
・・・まぁ、それはいいでしょう

ご家庭の料理は、
どれも「普通に美味しい」ものだと思います
「すごく美味しい」ご馳走だと
毎日は続けて食べられませんからね
レストランのようなご馳走を常食していたら
どんなに美味しくても、しまいには食べられなくなるでしょう

普通に美味しい
でも、余白に乏しい味

世の台所を守るみな様すみません、
ちょっとだけ誤解を恐れずに言えば
毎日の食事は、半分は義務
作る手間はできるだけかけずに美味しいものを作りたい
そう思って当然なのかも

それでもちゃんと美味しいものができてるんです
手間と時間とお金を節約
それでもちゃんと美味しいものができてるんです
必要な美味しさの要素をきっちり押さえた
家庭料理のセオリーです

外食をしたときのおいしさは
これとはまた別な要素
日常とは違う、本職の技と経験がもたらす
対価に見合う美味しさの基準

そして、それとはまた別の
『余白の味』(←命名:わたし)

私はあまり経験がありませんが
記念日だったりパーティーだったり
休日の楽しみとしての料理だったり
誰かのために作る
あるいは誰かと一緒に作る
手間と時間をたっぷりかけた
ちょっと特別な料理

ごくまれに
そういう味に巡り会うことがあります
普通よりちょっと美味しい
実際はそのくらいの味、なんだけど
ちょっと驚きの感動があります

限られた時間のなかで破綻なく続けられている
毎日の家庭の味とは違う
文字通り『余白を感じる』味があります
・・・・決して間延びした味というわけではありませんょ

人生において
日々の暮らしにおいて、余白を生かしている人
ちゃんと仕事して、ちゃんと楽しんでいる
そんな生き方の味わいが料理に表れるんです
作る人の人柄だったり
穏やかな時間だったり
ほっとする空間だったり

狙っても出せない味わいなのだと思います
わたし自身、仕事抜きでなにかを作っているとき
ふとしたときに、
「なんかいい感じ」のものが出来上がることがあるものです

売り物にしようと思った瞬間失われる
すごくあいまいで危ういバランスのなかでしか生まれてこないもの
無いものねだりは人の常、とは言いますが
求められてもなかなか出てくるもんじゃないのが、こまったところ

人でも物でもお仕事でも、長くお付き合いしてると
たま~に、そんなことがあったりしておもしろいものです

1人のご厚意をいただいております

余白

みなさん余白のレイアウトできてますか?

何も書いていない部分を余白と呼びます
何も書いていないので、一見無駄なようにも見えますが
これがなかなか大事な部分みたいです

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A4判の文書を眺めてみます

上下3センチ、左右2センチ
多少の違いはありますが、大体これくらいは余白をとってあります
面積にして約35%・・・・

実に、三分の一もの部分が何も書いていない空白でできているのです
これはもったいない、エコじゃない!

しかし、それならばと
この余白を狭くしてみたら?
例えば上下左右1センチずつにしてみるとしましょう
とたんに窮屈に感じます
なんとも気の利かない、
押し付けがましい文書に見えてくるから不思議です

さらに、余白を完全に無くしてみたらどうでしょう?
一枚の紙の有効面積を目一杯使った、
情報のみっちり詰まった媒体が出来上がります
・・・・エコかもしれませんが、こんなの誰も読みたくありませんね(^^;)

私だったら一目見てゴミ箱行きです
・・・台無し、全然エコじゃない
ちゃんとエコと向き合おう(Earth Conscious By JFN)

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何も書いていないのに
実は大事で必要なもの
たぶん、それ無しでは成り立たないもの

『行間を読む』という言葉があります
その意味で考えると、余白は「感じる」ものなのかも

文書に限らず
日々の暮らしの中にも
さまざまな余白が生きています

分刻みのスケジュールを送る人にも
たぶん余白はあるのでしょう
余白のない毎日なんて想像するだけでも苦おしいものです
余白があるからこそ書き加えることができるのです

みなさん一度は考えたことあるんじゃないでしょうか?
もし眠らずに活動できるとしたら、どれほど時間を有効に使えるのだろうかと
あるいは、実際に試した事のある人もいるかも知れませんね

どれだけ夜が強い人でも、
一日の時間の5分の1ほどは睡眠に割いているはずです
無理をすると必ず別な部分にしわ寄せが来ます
つまるところ時間を有効に使うためには
夜がきたら睡眠をとる、というのが正解なのでしょう

美しい余白の配分は
見る人に素直な感動を与えます
それはよく人柄にも表れます

・・・・・私の余白はいつもばらばら(^^;)

一見無意味に思える空白の時間も
どこかで必要な時間だったのだと考えて
毎日を過ごしています
時には大きすぎる余白に打ちひしがれることもあります

もし、余白を持て余したら、ちょっと声を掛け合って、
その余白を持ち寄ってみたりしてはどうでしょうね?
三人寄れば文殊の知恵
なにか新しい絵が描けるかも

1人のご厚意をいただいております

ふるさとで暮らすこと

しばらくご無沙汰しておりました
みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか?

おかげさまをもちまして
【minoriplus+Shop】の試験運転にこぎつけることができました
少しずつ改良していきたいと思っておりますので、
みなさまのご意見・ご感想などお寄せいただけると幸いです

いまさらではありますが、
初めての方もいらっしゃると思いますので
今日は、私の仕事についてお話したいと思います

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私が生業としている「大野木工」は、
私の住んでいる(旧)大野村で三十数年ほど前に始まった産業です
当時、大野村は地元に目立った働きどころが無く
収入を得るために北海道や首都圏へ出稼ぎに出なければなりませんでした

大野の土地は「やませ」と呼ばれる特有の気候があり、
春から初夏にかけて冷たい空気が流れ込むことがあります
先刻まで晴れていた空に白く霧がかかり
日照をさえぎり気温が10度以上下がります

この特有の気候のため農作物のできがよくなく
農業が成り立つとは言いがたいもので
かろうじて成り立つものといえば酪農
それでも本場・北海道などに比べれば規模も小さく
また、業者の生産調整に縛られて、稼ぎとしては厳しいものでした

そのため、男は中学を出るとその多くが仕事を求めて
ふるさとを離れ出稼ぎに出て行かなければなりません
当時言われた言葉が「出稼ぎ人口・日本一の村」・・・
揶揄でもあり事実でもあったのです

当時の出稼ぎ大工の男たちを象徴する話があります

盆・正月に家に帰ってくる
知らないうちに子どもが生まれていた
次の年も、帰ってくるのは盆正月だけ
自分の息子が、
「よそのおじちゃんきたよー」と言って隠れてしまった

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家族を養うために
家族と離れて暮らさねばならない矛盾
その多くが選択の余地など無く
他に手段を持たない者ばかりでした

時はバブル前夜の経済成長期・・・・
大量消費の波は地方の山村に歪みをもたらします
豊かな森林資源は
潤沢な資金のある関東関西へ野放図に安く買い叩かれ
地元にはなんら益することなくその先を細らせていきます

そんな折に、数奇な繋がりからの
ある出会いが大野に希望をもたらします

天井知らずに伸び上がる日本経済の行く末を早くから懸念し
ものづくりの将来、
ひいては日本のあり方にまで提言と警鐘を唱えていた
稀代の工業デザイナー『秋岡芳夫』

この方は、
大野村の姿に日本の地方・山村の縮図を重ねました
大量に作り大量に消費する経済主義
このままでは作り手は自らの未来を失い
使い手は寄る辺を無くしてしまうということを

田舎に暮らす人達が
地元に残り、誇りを持って生きていけるように
大野村の再生に日本の地方の創造を託したのです

この方は村にこんな提案をしました

冬は生産
夏が来たら、一部を観光客に解放して、都会の娘たちに手をとって
ロクロを教えてやりましょう。
観光客がこんな盆挽いて欲しいと言ったら、はいよって目の前で挽いてやりましょう。
里モノは注文がきいていいモノ作りなんだってなあって、感心させてやりましょうよ。
4年目にはホームスパンの工房も。
ホームスパンの工房も2階建に。どこの丘に建てましょうか。
あの白樺の谷を見下ろす、そうですねあの南斜面がいいかも知れません。
ホームスパン工房のお隣に染の工房も建てましょう。機織の工房も沢山作って、
冬はサマーウールを織って夏は里モノ作り教室。
5ヶ年計画で、ねえ村長。
「里モノの里」をつくり上げませんか。
冬は生産。夏は観光。建物と設備は生産と学習の両方に使い分けられるように
設計しては勉強と生産に使ったら・・・・・・
夏は都会の連中の教室に開放して・・・・・・
見せて里モノづくりがどんなに楽しいか。
ちょっとやらせて里モノづくりってなんて面白いんだろう。
目の前の注文のものを作ってやって、なんて里モノ作りって素敵なんだろう。
2泊3日させて里モノ作りの技術を覚えさせたら、きっと都会の連中、
またやって来ると思うんです。
大野村に住みたいなって娘が出てくると思いません? 東京や大阪の娘が。
ねえ村長
バターチーズの工房と、
ホームスパンの工房と、
焼き物の工房と、
ロクロの工房と、
家具の工房を作りましょうよ。大野に。
漆器の工房も。
5年もかけないで、2,3年のうちに作っちゃいませんか。
大野には
広々とした大地がある。
なだらかな丘の牧場に
雉がいる。羊がいる。乳牛がいる。
近くの山に、安家の山々に、もったいないような、
楢や栗や栃やみずめ桜や黄肌が、まだ残っている。
急いで池を掘ってそこに栗や楢の木を沈めて水中乾燥しよう。
大野には木工の技術がある。千人を越す大工がいる。
栗や楢が村の池で乾いたら彼らがきっといい里モノに安家の木を生かしてくれる。
大野は隣の村や町に恵まれている。
久慈には小久慈焼の青年がいる。
浄法寺には日本一の漆かきがいてくれる。
ホームスパンの先生が、盛岡にも東和町にもいてくれる。
大野は素敵な技術をもった隣村に恵まれている。
そしてなによりも大野の人達には豊かな手持ちの時間がある。
「冬の時間」に恵まれている。
里モノ作りに欠かせない時間が・・・・・・
これまでは出稼ぎに消費して来た冬の時間がある。
ねえ村長。
大野を「一人一芸の村」にしませんか。

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身の回りにあるものを使い
自分達の暮らしを豊かにする工夫
無いものを欲しがるのではなく
あるものを生かした暮らしかた

それまでちり紙の原料にするしかなかった木材を
自分たちの手で加工して暮らしの道具に

それまで生産調整のために捨てなければならなかった牛乳を
自分達の食卓を彩る食べ物に

時間がある
空間がある
そして人がいる
足りない技術は学ぶことができる

こうして、村の人たちの手に
新しい生き方のきっかけがもたらされたのです

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それから三十数年

社会のあり方も少しずつ変わり
それでも変わらず、田舎からはどんどん人が減っています

理想の姿を知ってはいても
描き続けることが叶わず
大きな流れに抗うこともできず

最盛期には30人を超えていた大野木工の職人も
今では半分ほどになってしまいました

かつては、地元で暮らしたくても暮らせないといわれたふるさと
いまはもう、望んで暮らしたい場所ではなくなってしまったのかもしれません

でも、不思議なことに都会に出ると、岩手にそして大野に行ってみたい、
ということを言われます
田舎に暮らす者は都会を求め、都会に暮らす人たちは田舎を渇望しているのかもしれません
人は豊かさを求めて都会へ出て行きます
物質的な豊かさに満たされ、望んでいた暮らしのはずなのに
なぜか目に見えない大切なものが失われていくように感じているのでしょう

もうここまで来てしまった今
多くの人が感じているでしょう
このままいくと、大変なことになると
私たち、そしてこの先の世代の人たちは
これからその苛烈さを味わうことになるでしょう

でも、ささやかな希望もあります
決して少なくない人たちが今気づき始めていること

もう一度、原点に立ち返ろう
一つひとつ考えた先に
本当に大切なものがあるはずだと

そうしてやっと気づいたときに
求めていたものがどこにも残っていなかったら
きっと悲しいと思うから

ここまで読んでくださいましてありがとうございます

私のものづくりは
そういうものを残していくお仕事です
なかなか理解はされません
それでも、ここに立ち寄ってくださったみな様に
私の仕事がすこしでも幸せの貢献ができますように

1人のご厚意をいただいております

季節の行間

もうじき夏がやってきます・・・

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夕方まで仕事をして
おわってから届け物のため
少し車で走りました

雲の形が変わり
空の色が変わり
風の匂いが変わってくる気配

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

届け物を終えて
辺りが闇に染まるまでのひと時
久しぶりに海を見に車を止めました

波の静かな砂浜
遠くに船の明かり
久しぶりに見る海はとても穏やかでした

海を見ると色々な記憶が巡ってきます
ちょうど、列車が通り過ぎました
色々な人の思いが、なぜか感じられます

もうじき夏がやってきます

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

6 人のご厚意をいただきました

プレ・オープンです

長らく製作しておりました、
みのり工房ネットギャラリー【minoriplus+shop】
先ごろ、先行試験公開と相成りました~

まだまだお見せするには程遠い完成度ではありますが
いずれ公開しなければいけませんので
まずはプレ・オープンということで
試験運転させていただいております

みなさまのご意見ご感想が私の命綱でございます
どうぞ、ご遠慮なくお話をお聞かせください

先ほども書きましたとおり、
まだ完成度に乏しいものですので
前触れ無しに停止するかもしれませんが
どうぞ温かい目で見守ってください

・・・・・ただいま、新規登録キャンペーン中でございます

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1人のご厚意をいただいております