夫が一人おります

先の段にて、曽野綾子さんの話をしていて
思い出したことがありまして、
どうしても、この話題に触れたくなりました。

私の高校生の頃のお話です。
・・・・・高校生の頃があったんですね、
という声が聞こえてきたような気がしますが
ここはスルーでしょう(^^)

それでは、ご招待・・・
(長文注意です)

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「太郎物語-高校篇-」曽野綾子・作
高校生時、確か、読書課題としてクラス全員に渡されたと記憶している。

小説・読書というものに対する私の見方を大きく変えてくれた一冊である。
私はこの本を読んで書いた読書感想文で、ちょっとした賞をもらったことがあった。
年に一度の読書課題で強制的に読まされた本をここまでじっくりと読み込んで、
きちんとした感想文を仕立てる人間というのは稀なようで、実際、他のみんなは
規定の原稿用紙三枚以上をクリアするために文字を並べただけのものばかりだったようだ。

そういう事情で、この感想文は読書コンクールに向けて書いたものではなかったのだが、
担任の先生(国語教科担当の先生でもあった)がこれを取り置きしておいて、
私に内緒で出していたらしい。
他の受賞者は、もちろん自分で選んだ本を題材に、コンクールに向けて書いている人ばかりだったので、
「太郎物語を読んで」という、なんの捻りもないタイトルは、他の受賞作からすると、ちょっと浮いていた。
知らせを聞いたときには、こんなの書いたっけか??と自分でも忘れていたほどだった。

私の文章に目を留めてくれた先生

この先生には、在学中大変にお世話になった記憶がある。
いや、お世話ではなく迷惑をかけたというほうが正しいだろう。
入学したての一年生の時の担任だったのだが、
進級時のクラス替えを経ても、運良くこの先生に担任をしてもらうことになり
2→3年ではクラス編成に変わり無しという事で、結局三年間ずっとお世話になった。

まあ、他の男子生徒的には、やや口うるさい痩せぎすのおばさんという感じで、
特別に美人というわけでもなく、眼鏡もかけていなかったのだが(←眼鏡好きの偏見)
ウィットに富んでいて面倒見が良く、若い先生にありがちな生徒の選り好みがないので、
クラスでの好感度は高かった。

後述の一件があったせいもあるだろうが、私は事あるごとにいろいろと目をかけてもらっていたように思う。
もちろんこれまで恩師と呼べる先生はたくさんいたが、それぞれに優しさや愛情を感じつつも、
お互いに「その他大勢」の中の一人という立ち位置を変えるものではなかったように思う。
だが、この先生は、初めて一個人として自分に向き合ってくれた人だったように思えた。

だから、私はこの先生がちょっと好きだった。

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私は、二学年に進級するころ、どうしても学校生活に馴染めず、中途退学を申し出たことがあった。
年度末に合わせて手続きをすれば、その後もスムーズに事が運ぶだろうと踏んでのことだった。

一年の終わりに差し掛かった頃、私の突然の申し出を聞いた先生は、
驚きながらも話を聞いてくれて、その後何度か中退するにあたっての様々を話してくれた。

その後、結論から言うと中退せずに無事に高校三年間を全うすることができたのだが、
その要因の大きな一つは、この先生がいてくれたからだと思う。

この話をする前から、小さなやり取りは始まっていた。
始まっていたから、あの時相談することもできたのだと、今になって思う。

事の起こりは、一年の夏休み課題の「意見体験作文」を先生が目にしてからだ。
それ自体は、他愛の無いただの宿題だったのだが、こういう自由なテーマを与えられると
私の筆は良く進む。
新しい生活を迎え、抑圧されていた中学校から高校デビューという、自分を変えるのに都合のいい
タイミングだったこともあり、私はその作文の中に、普段は見せない自分をちりばめることにした。
ちょっとした自己アピールの意図である。

特別に文才があったわけでもなかったはずだが、
どういうわけか、これが先生の琴線に触れるきっかけとなったようである。
あるいは・・・・、目に見えない危機を察したものだったのだろうか。

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その日の掃除時間、
教室でモップをかけていた私に先生は前触れ無く話しかけてきた。

「あなたの作文読んだよー、大層おもしろかったわ」

それからというもの、私の書く文章を目に留めては、なぜかよく感想を話してくれた。
だから、私も先生に見せる文章はそれなりに真面目に取り組んでいた。

感想文の出来が良かった事についても、そういう事情があった。
それに、文章は語りかける相手を意識すると、自然と熱がこもる。
読んだ本それ自体も良かったが、感想を伝える明確な「誰か」を得たということは
何にも増してプラスに働いたのだろうと思う。

「あの本、そんなにおもしろかったんだ」

感想文を読んだ先生は、明快な反応を見せてくれた。
それからは、会話のきっかけ、という副産物(どちらかといえばこれが主目的か?)を得るために
文章はどんどん先鋭化していく。

「えー、ちょっとそのタイトルはどうなの~(^^;)」
時には、いきおい余って、ちょっと論点をハズしてしまったこともあった。

でも、そこはそれ、国語の先生である。
文章のおかしいところはちゃんと直してくれたりする。

確かに読まれていると感じるから、それを意識した「仕掛け」を文章の中に施してみたりもするようになる。

「つぎの作文の提出は、いつだったかな。何を題材に書くのかな?」

次第に、作文を通した見えないやり取りが先生との間に生まれた。

何作目だったか、
「君には文学的な才能があるよ」
と言われたことがあった。

「才能」なる言葉を、冷かしや嫉妬を含まない意味で聞いたのはこのときが初めてだった。
お世辞の範疇であって深い意味で言ったのではないだろうし、もちろんそれを丸呑みにしたわけではないが、
そんなひと言に気を良くして、今だにこんな文章を書いたりしているのだから、
褒めて伸ばす、とはよく言ったものだ。
それとも、三つ子の魂なんとやら、か?

世間に出れば、自分の程度は知れてくる
だからまあ、そうは言ってもこの程度だ。
才能などという、大層なものではない。
でも、「好きこそものの上手なれ」
続けていることには、それなりに重みが詰まってくる
だから、書くことは今も好きなんだと思う。

当時から酷く人見知りであった私だが、
そんないきさつがあってからは、
クラスで自作の文章を発表する時には
それなりに自信を持って読み上げることができるようになっていった。

これはずっと後になってからの、
ある家庭科の時間のことだが・・・、
めずらしく意見作文の課題で、テーマは「母親の子どもに対する虐待」について。
当時、社会問題として顕在化しており、それなりに真剣になるテーマだったらしく
文章を書くのがあまり好きではないクラスメイト達でも真面目に書いた力作が多い。
(特に我が校は、男女比が2:1にも達するほど女子比率が多いから余計にそうだったのだろう)

集められた原稿用紙を家庭科教師(女の先生です)が読み上げる。
それぞれに、含蓄があってちゃんとしている。
書いた人の名前は、読み上げた後、反響が大きかったものだけ発表される仕組みだ。

私の文章が読み上げられると
クラスに「・・・・おぉ~」という感嘆が満ちる。
誰だ、誰だ?とみんながざわついたところで、私の名前が公表される。
すると一斉に私のほうへ視線が集まり「おおおぉぉ~!!」というどよめきが起こる。
うふふ、ちょっと誇らしげ。

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好きなこと、興味のあることに関しては
わりと時間を忘れて没頭する方だったし、知識と技術の吸収も早かったように思う。
総合成績の順位はちょうど真ん中あたりだったが、
科学と家庭科だけはクラスでトップ、学年でも3位以内だった
(実は保健体育もトップだったのはここだけの内緒だ、発表されてみんなで大笑いした)

国語の順位は、漢字が苦手だったこともあり、
上から10番目くらい。
国語教師でもある先生には、ちょっと申し訳なかったのだが、
それでも成績云々より学校へ馴染んでいく事のほうを喜んでくれた。

とりわけ、先生は勝義での「褒める」という事に関して御達者であったと思う。

言葉は大切に使おう、
この時から、そう思うようになった。

そんなやり取りのしばらくあと、
ある思い出深い出来事があった。

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件の「中退衝動」が私の中で鎮静化したことが、例によって作文中の仕掛けによって
先生にも伝わったのだろうか。
事の顛末の確認をするため、先生に生徒指導室に呼びだされ少し話をして、
私はもう少し学校を続けてみます、という意思を伝えていた。

それから数ヶ月・・・・。

放課後ののんびりした雰囲気の校内を、帰りのバス時間までの時間つぶしにうろうろしていた私を
先生が呼び止めた。夕方の三時頃だっただろうか。

「あら、バス時間待ち?」

私は、「そうです、大野行きは便数が少ないので。」と答えると、

「時間大丈夫ね?じゃあ、ちょっとお話をしよう。」

いきなりである。
「あ、はぁ・・」

変な返事をして私は先生についていく。
しかし連れて行かれた先は、いつもの生徒指導室でも職員会議室でもなかった。
階段の手前で廊下の北側にある、見慣れない引き戸を開けると、中に促した。

「あの~、ここって・・・?」
職員用の宿直室である。

「あ、そこで上履き脱いでね」
先に上がった先生は、そう言うと窓を少し開けて外の風を招き入れる。
開けながら、さっき掃除したときに一回開けたんだけどやっぱり暑いわねぇ、という
呟きが聞こえた。
鉄筋コンクリートの校内にあって、この部屋はかなり雰囲気が違う。
壁や天井、間取りや造りが民家のそれに良く似ていて、しかも部屋には押し入れがあり畳が敷いてある。
ひと言で言って、別世界だ。
開けた窓からかろうじて聞こえる運動部の掛け声が、ここは学校であるということを思い出させていた。

先生は、四畳半の真ん中に置かれたちゃぶ台を示して、
「お茶菓子買っておいたの。そこに座ってて、今お茶入れるからね。」
と言って流し台の方へ。

私は腰を下ろして、考えをめぐらす。
お茶菓子?買っておいた?
・・・つまり予定されていたってことか?だいたいなんで宿直室なんだ。
掃除したって言ってたけど・・・、そのためにわざわざ掃除?
いや、先生の掃除当番の日だったのかもしれない。
それで、せっかくきれいにしたから活用しようということなのか?
他の部屋だってあるだろうに、・・・いやいや、今日に限って使用中だったのだろうか?
そもそも、ここは生徒を入れていい場所なんだろうか・・・?

とめどなく疑問が出てくる。
天文部がある他校では、夜の部活動の際に職員用の宿直室を使うことがあるらしいのだが
我が校にそんな部は無い。たぶん他の生徒が入ったことはほとんど無いだろう。
そわそわと、あたりを見回したりする。
生徒禁制の、いわゆる大人の区域に自分が踏み入っていることを感じてちょっと落ち着かなかった。

ほどなく盆に二人分のお茶を乗せた先生が戻ってくる。
「はい、どうぞ」
そう言ってお茶を差し出し、向かい側に座る先生を、私は見る。
いただきます、と言って一口すする。
・・・・・ブラウスの胸元のボタンがいつもより一つ余計に開いてるなぁ、
などといらぬ思いが過ぎる。落ち着け少年。
「あら、おいしい」
お茶を口に運んだ先生は、くつろいだ表情をして、それから脚を崩した。
教室とは違う、雰囲気。

「その後、どう?」
え?、どう、というと?
私は聞き返すと、
「もう少し学校続けてみるって言ってたけど、それからどうなのかなって。」
あぁ、その話ね。
現実に引き戻される少年。

実際、いろいろあったのだが、苦しさの峠は越えたということを
具体例も交えて話す。先生はうなずきながら、話を聞いてくれた。
それから、友達のこと、部活のことなどを聞いてきて、そのあと
唐突に家でのことを聞かれた。

「家ではどんなことをしてたの?」
夏休みが終わっていたので、おそらく、その間どんなことをしていたのかを
聞いているのだろうと察する。
この場合、宿題してましたとか、テレビを見てました、などという
予想の範囲内のことを聞いているのではない。
「自分の時間」をどのように使っていたのかを聞いている、そう思った。

父の仕事を手伝ったりしてました、そう答えた。
夏休み中は、特にどこへも行かなかった。
主に、父の稼業を手伝ったりして過ごしました、と。
本当かよ、と思うだろうが実際そうなのだから仕方がない。

「電気工事の?」
「はい、一緒に現場に行って、手許などを」

父の仕事については、先生は良く知っている。
実は、先生の旦那さんというのが、やはり教師で、
他校なのだが、なんと私の兄の担任をしていたことがある。
そのため、旦那さん経由で父についても既知なのだ。
不思議な縁である。

「他には?」
仕事のない日は畑に行ったりしてました、というと
「へぇ!畑仕事ー」と驚く。

畑仕事というのが意外だったのだろう。

「それで、報酬をもらったりするの?」
と聞かれたので、
「まさか、家の手伝いでお金なんか貰えません」
と答えた。
無償でそういうこともするんだねー、意外な一面を知ったわ、と先生ご満悦の様子。

それから会話も弾み、さまざまなことを話した。
話の流れで、中退後どうするつもりだったのか、それについて両親はなんと言っていたか
ということにも触れた。

私の父には、
「好きなようにしろ、ただし高校三年間分しか援助しないから
最後の一年間は自分で何とかしろよ」と言われました。
そう答えると、それがツボにはまったらしく、先生はひとしきり笑って、
なるほど、子どものそういう話にはそう答えればいいのね!と愉快そうに、
「私も、子どもが高校生になったら、そう言おうかしら」
と、父の名言?を参考にしたようだった。

それから、しばらく他愛のない会話をしていると
やがてバスの時間が迫ってきた。

部屋を出る時、
「すっかり話し込んじゃったね、楽しかったわー」
先生が言う
「はい、私も、・・・・楽しかったです」
私も答えた。
そう、とても楽しかった。

学校の中にあって
不思議なやわらかい時間

私にだけ、特別にこのような時間を割いてくれたのだろうか?
私が知らないだけで、実は他のみんなも等しく面談の機会があったのかもしれない。
でも、宿直室で茶菓子を囲みながら、というのは無いだろう。
とにかく、・・・不思議な時間だった。

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最初の自己紹介の時、
「夫が一人おります」
という見事なフレーズでクラスの爆笑を誘い
ベテランならではの手綱さばきで全員の心をつかんだ先生。

朝のHRで、
先生は今日このあと、午前中お休みをいただいてます、
「娘の小学校入学式です」
と意表を突く理由でクラスを大いに沸かせた(笑わせた)こともあった。

バス遠足の車内では、
マイクを手に開口一番
「えー、本日は岩手県北観光をご利用いただきましてまことにありがとうございます」
ぃよっ!!!
クラスの男どもを大いに乗せまくっていた

そういえば、
「あなたの良さを理解してくれる女の人、きっと見つかるよ」
・・・それから先の人生で何度も聞かされ、
そのたびに悶絶することになるこの言葉を
最初に言ったのも先生だった

卒業式の日、
式典の最後に、クラス全員を起立させるときの誇らしげな表情
その後の教室で、
自身の年齢をみんなに明かして「ええぇぇ!!??」というクラスの驚愕の声を聞いて
「え?どっちの意味で?」
と言いながら、なぜかほくほくしていた先生(笑)

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教室では、式典で受け取った卒業証書を
わざわざ回収して、先生がもう一度みんなに直接手渡しする
その際に、ひとりひとりに言葉をかけてくれる
先生がみんなに贈る最後のセレモニーだ

人柄について
思い出深いエピソード
これからへの激励・・・・・・

一人一人に
全員が拍手を贈る

クラス名簿は、あいうえお順である。
だから、私の名前は必ず最後に呼ばれる。

 

先生が名前を呼ぶ

私は「はい」と応える

卒業証書を手渡し
ひと言だけ、

 

「・・・・色々、ありましたね・・・。」

「・・・・・はい、・・・・・・ありがとう、ございました。」

 

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みんなの拍手が教室を包む
この短い言葉の意味は、二人だけが解ること・・・・。

5 人のご厚意をいただきました

妻を娶らば

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昨日、今日と
朝から堪えようも無いほどの苛立ちを抱えていました

あまりの鬱積に仕事も手につかず
かといって、こんな時に出歩くとなにか事故でも起こしてしまうような気がして
部屋に籠っていたのですが

もう、どうにも我慢ならなくなり
車に乗って気分転換を試してみることにしました

行き先も考えず、ただ車を走らせていると
いつもの習慣で
行きなれた店の駐車場についていました
書店です

店のドアをくぐり
つらつらと
本の背中を眺めて歩いていると
ふと、
一冊の本に目が留まりました

「人間にとって成熟とは何か」
曽野綾子・著

こういうときの
私の勘、というか流れに導かれる感覚は
時々、何かを掘り当てたりします
だから、そういう時には
身を任せてしまうことにしています
(騙される事もありますので、皆さんは真似しないでください)

ぺらぺらとめくって
「肌に合う感じ」を確かめます
文章というのは、肌感覚と同義で
人によって「肌に合う・合わない」が明確に存在します

ですが、何の齟齬も無く
まさに私にぴったりという文体
そのままレジで御会計と相成りました

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曽野さんを知らない人でも
「太郎物語」は知っていることでしょう。

テレビドラマにもなったらしいのですが
そちらは私は見たことがありません

この本に出会ったのは
高校生の時です
年一回の恒例行事で読書課題に渡されたものでした

読んでみて、
私は様々な感覚がひっくり返ったのを覚えています

それまで、文芸小説というものは
堅苦しくて読みにくく
インテリかぶれの読む物だと思っていたのですが
この作品はそんな偏見を破壊してくれました

感触としては、ホームコメディのドラマのようなノリで
文芸作品というよりライトノベルとか
それこそドラマの台本を読んでいるかのような
気がついたら読みおわっていたという
まさに呑まれっ放しの一冊でした

とても学校においてある本とは思えん
というのが正直な感想です

この本を読んでから
私は「小説を読む人」という
新たなキャラクターが定着しました

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で、今回手にした本
実はまだ全然読み終えていないのですが
最初の数ページで、もうすっかり虜になっている感じで
気分がハイになってしまっております

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特に気に入った一節が、冒頭から炸裂します

前段で、ニュージーランドの清浄な社会を「私にはつまらない」と言ってしまってるので、
あら、ちょっと肌に合わなかったかしら、
・・・と不安になったのですが
その真意(曽野真意とも言う(^^))を説明する一文、これがとてもヨイ

「───少なくとも社会の仕組みにおいては、
いささかの悪さもできる部分が残されていて、
人間は自由な意思の選択で悪を選んで後悔したり、
最初から賢く選ばなかったりする自由があったほうがいい───」

ありがとうございます、曽野先生!!
私も心からそう思います

自分が正しいと信じて疑わず
独善的な正義を押し付けて、個の自由意志と主体性さえ否定する輩、
そんな輩を崇め奉って自分の意見を示さずに事なかれ主義を決め込んで
適当に恩恵にあやかろうとする連中に是非とも聞かせてやりたい

曽野先生の話には
全くもって実感が沸きます
それでいて、おもしろいんですよね、これがまた。

脱線した話題で、おからの調理法にふれる段があるのですが、
その中の一節

「───野菜はニンジンとゴボウとネギを細かく切ったものを入れるのだが、
この根菜類は、愛があれば、実に細かく切ったものを使うようになる────」

この「愛があれば」という感触が実にいい。曽野綾子節です。

読者に対してさらりと

「背中を流してもらったり、膝枕で耳掻きなどがあった次の日の朝は、
美しいまでに刻まれた野菜が食卓に並び、
喧嘩して別々の部屋で寝ることになった明くる朝は、
雑にぶつ斬りにされたものが突き出されるのデスヨ」

と、言外に伝えているのです。

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脱線ついでに、

おからの話が出て、ふと思い出したのですが
うちでは基本的に豆腐は自家製のものを食べます。
もちろん買って食べることもあるし、近所に本職の美味しいお豆腐屋があるので
そちらのものもよく食べます。

自家製豆腐に使う大豆は、もちろん自家製です
ですが、基本的に自家製大豆は冬場の貴重な現金収入にするためのもので
自宅で豆腐にするのは、その選別の過程で出た二級品三級品のいわゆる「屑豆」なんです

そのため、できる豆腐は正直、それほど美味いもんじゃないんです
そんな豆の出汁がらの「おから」なんか、美味しくないのは当然
昔から食べ慣れているので、不味いとは思わないし、パックに入った市販の豆腐よりはずっと美味しいと思う
でも、その美味しさの理由は、自分で育てた豆から自分で作った豆腐だという、背景も含めての話で
さらに、くず豆から作った廃品利用にしては想像以上においしいという側面もあります
豆腐は出来たてが一番おいしいから、作った当人が一番最初に食べられる
美味しく感じるというのも、まるっきりの嘘ではないんです

だから、それなりのお金を出して本当に美味しお豆腐を食べ慣れている人間に
「おいしいお豆腐ですよ」といって勧められるようなものではないのです
数年前までは、そのことをちゃんと理解していなくて、何度か恥をかいたこともありました

でも、だからといってこの自家製のお豆腐が、取るに足らない、
下らない物といわれるとちょっと、むっ、とします
全くの思い込みで言っているのではないのですからね

このテのよさは、それが分かる人にしかわからないものだし、
一番よく知っている自分がひっそり楽しめばいいことであって、
要は、声高に喧伝する類のものではないということなのでしょう

大きく脱線してしまいましたが、
うむ、私もこういう時期があったものなぁ・・・・

本の帯についている「憎む相手からも人は学べる」とは、
・・・・・・・まあ、現時点で承服はいたしかねるのですが、
そういうこともあるかもしれない、くらいには思えてます、はい。

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曽野先生の旦那様は、
前述の太郎物語のあとがきに、
「妻を娶らば曽野綾子」という言葉を載せています
この言葉は、以前私も読書感想文で引用させていただきました
おもしろいので興味のある方はぜひ

2 人のご厚意をいただきました