妻を娶らば

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昨日、今日と
朝から堪えようも無いほどの苛立ちを抱えていました

あまりの鬱積に仕事も手につかず
かといって、こんな時に出歩くとなにか事故でも起こしてしまうような気がして
部屋に籠っていたのですが

もう、どうにも我慢ならなくなり
車に乗って気分転換を試してみることにしました

行き先も考えず、ただ車を走らせていると
いつもの習慣で
行きなれた店の駐車場についていました
書店です

店のドアをくぐり
つらつらと
本の背中を眺めて歩いていると
ふと、
一冊の本に目が留まりました

「人間にとって成熟とは何か」
曽野綾子・著

こういうときの
私の勘、というか流れに導かれる感覚は
時々、何かを掘り当てたりします
だから、そういう時には
身を任せてしまうことにしています
(騙される事もありますので、皆さんは真似しないでください)

ぺらぺらとめくって
「肌に合う感じ」を確かめます
文章というのは、肌感覚と同義で
人によって「肌に合う・合わない」が明確に存在します

ですが、何の齟齬も無く
まさに私にぴったりという文体
そのままレジで御会計と相成りました

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曽野さんを知らない人でも
「太郎物語」は知っていることでしょう。

テレビドラマにもなったらしいのですが
そちらは私は見たことがありません

この本に出会ったのは
高校生の時です
年一回の恒例行事で読書課題に渡されたものでした

読んでみて、
私は様々な感覚がひっくり返ったのを覚えています

それまで、文芸小説というものは
堅苦しくて読みにくく
インテリかぶれの読む物だと思っていたのですが
この作品はそんな偏見を破壊してくれました

感触としては、ホームコメディのドラマのようなノリで
文芸作品というよりライトノベルとか
それこそドラマの台本を読んでいるかのような
気がついたら読みおわっていたという
まさに呑まれっ放しの一冊でした

とても学校においてある本とは思えん
というのが正直な感想です

この本を読んでから
私は「小説を読む人」という
新たなキャラクターが定着しました

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で、今回手にした本
実はまだ全然読み終えていないのですが
最初の数ページで、もうすっかり虜になっている感じで
気分がハイになってしまっております

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特に気に入った一節が、冒頭から炸裂します

前段で、ニュージーランドの清浄な社会を「私にはつまらない」と言ってしまってるので、
あら、ちょっと肌に合わなかったかしら、
・・・と不安になったのですが
その真意(曽野真意とも言う(^^))を説明する一文、これがとてもヨイ

「───少なくとも社会の仕組みにおいては、
いささかの悪さもできる部分が残されていて、
人間は自由な意思の選択で悪を選んで後悔したり、
最初から賢く選ばなかったりする自由があったほうがいい───」

ありがとうございます、曽野先生!!
私も心からそう思います

自分が正しいと信じて疑わず
独善的な正義を押し付けて、個の自由意志と主体性さえ否定する輩、
そんな輩を崇め奉って自分の意見を示さずに事なかれ主義を決め込んで
適当に恩恵にあやかろうとする連中に是非とも聞かせてやりたい

曽野先生の話には
全くもって実感が沸きます
それでいて、おもしろいんですよね、これがまた。

脱線した話題で、おからの調理法にふれる段があるのですが、
その中の一節

「───野菜はニンジンとゴボウとネギを細かく切ったものを入れるのだが、
この根菜類は、愛があれば、実に細かく切ったものを使うようになる────」

この「愛があれば」という感触が実にいい。曽野綾子節です。

読者に対してさらりと

「背中を流してもらったり、膝枕で耳掻きなどがあった次の日の朝は、
美しいまでに刻まれた野菜が食卓に並び、
喧嘩して別々の部屋で寝ることになった明くる朝は、
雑にぶつ斬りにされたものが突き出されるのデスヨ」

と、言外に伝えているのです。

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脱線ついでに、

おからの話が出て、ふと思い出したのですが
うちでは基本的に豆腐は自家製のものを食べます。
もちろん買って食べることもあるし、近所に本職の美味しいお豆腐屋があるので
そちらのものもよく食べます。

自家製豆腐に使う大豆は、もちろん自家製です
ですが、基本的に自家製大豆は冬場の貴重な現金収入にするためのもので
自宅で豆腐にするのは、その選別の過程で出た二級品三級品のいわゆる「屑豆」なんです

そのため、できる豆腐は正直、それほど美味いもんじゃないんです
そんな豆の出汁がらの「おから」なんか、美味しくないのは当然
昔から食べ慣れているので、不味いとは思わないし、パックに入った市販の豆腐よりはずっと美味しいと思う
でも、その美味しさの理由は、自分で育てた豆から自分で作った豆腐だという、背景も含めての話で
さらに、くず豆から作った廃品利用にしては想像以上においしいという側面もあります
豆腐は出来たてが一番おいしいから、作った当人が一番最初に食べられる
美味しく感じるというのも、まるっきりの嘘ではないんです

だから、それなりのお金を出して本当に美味しお豆腐を食べ慣れている人間に
「おいしいお豆腐ですよ」といって勧められるようなものではないのです
数年前までは、そのことをちゃんと理解していなくて、何度か恥をかいたこともありました

でも、だからといってこの自家製のお豆腐が、取るに足らない、
下らない物といわれるとちょっと、むっ、とします
全くの思い込みで言っているのではないのですからね

このテのよさは、それが分かる人にしかわからないものだし、
一番よく知っている自分がひっそり楽しめばいいことであって、
要は、声高に喧伝する類のものではないということなのでしょう

大きく脱線してしまいましたが、
うむ、私もこういう時期があったものなぁ・・・・

本の帯についている「憎む相手からも人は学べる」とは、
・・・・・・・まあ、現時点で承服はいたしかねるのですが、
そういうこともあるかもしれない、くらいには思えてます、はい。

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曽野先生の旦那様は、
前述の太郎物語のあとがきに、
「妻を娶らば曽野綾子」という言葉を載せています
この言葉は、以前私も読書感想文で引用させていただきました
おもしろいので興味のある方はぜひ

2 人のご厚意をいただきました