雲雀の空

休日の午後3時頃・・・
静かな時間の中、とくにすることが無い
以前ならこのように時間を持て余すことも多かった私

今では、空いた時間は自分のための貴重な時間
仕事だけではなく、気持ちの休息のために時間を使うこと
この自分の時間の大切さに最近になってようやく気がついた私

この他愛のない文章を書くのも、
今や自分には大切な気分転換になっています

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昨日は、畑仕事に汗を流しました
大豆の培土(土寄せ)作業
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一面に薄い霧がかかり
暑くもなく寒くもない
農作業には最高の天気
(晴天に恵まれてしまうと、恐ろしく体力を消耗します)

両親と私、三人で畑の中を行ったりきたり
時々、軽口をたたいたりしながら・・・・

この歳になって、
ようやく両親とまともな会話が持てるようになった私
農作業の手伝いは以前は義務として黙々と

今では進んで従事できるようになりました
何気ない会話を持つことの意味
そのことを最近になってようやくわかりかけてきた気がします

祖父と祖母、二人からは畑仕事のたびに
色々と言われておりました
その頃はまだ、今のような心境は理解できませんでした

10時の一服、土手に腰を下ろしてお茶を飲んでいると
母が「ほら」と空を指差しました

指し示す方を見上げると
遥かな高みに、ぽつんと影がひとつ
よく通る複雑な囀りをする鳥

その一点に留まっていた影が、不意に鋭く急降下をしてきました
そしてそのまま草むらの中へ

「ひばりだ」

「揚げ雲雀」と言われるように
甲高く囀りながら空高く飛び上がる姿が目を引きますが
私には、一直線に地面を目指す急降下が印象的です

雲雀はとても警戒心の強い鳥で
巣の場所を特定されないように
地面に降りてから、とても長い距離を
「歩いて」巣に向かうのです

辺りに目を向けると
あちらこちらに雲雀の鳴き声が

農作業の合間のこんな景色も
今ではなかなかできない経験になってしまいました

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奇しくも6月29日は祖母の命日
祖母の代からの変わらない営みに
しばし思いを馳せた一日でした

3 人のご厚意をいただきました

初めての巡りあわせ

昨晩は、ビール片手に映画鑑賞などしておりました
かなり有名なもので、映画ファンなら知らない者はいないというほど

「12 Angry man(邦題:十二人の怒れる男)」
いちおう解説いたしますと、
モノクロ時代の映画で、法廷ものの密室劇
父を殺した罪に問われている少年の裁判を巡る陪審員達の物語

ほぼ全編を通して、たった一室でのやり取りだけで構成されており
凝ったカメラアングルや場面展開などが一切無く
12人のおじさまたちの会話のみで出来上がっているという
全編通して地味な印象
これだけ聞くと、どこにおもしろさがあるのか?といった感じを受けますが
最期まで緊張感と臨場感にあふれ、内容にのめりこんでしまうほどの
おもしろさを秘めております

見れば分かる、そういった映画です

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私とこの物語との初めての出会いは
高校生のときの芸術鑑賞会
初めて観る本格的な舞台演劇の演目がこの「十二人の怒れる男」でした

原作は、生放送のテレビドラマで放送されたのが最初で、
そのため舞台演劇にぴったりの内容であり、
実際に各地で数多く上演されているそうです

名作は色々な媒体で目にすることができるものですが
おそらく、初めて見たのが映画だったのと舞台だったのでは
感じ方も違うでしょう
残念ながら、その両方を味わうことはできません

その当時、件の舞台を観終わったあとの
友人との会話を思い出しました

この頃の男子生徒の「お利巧さんなイベント」に対する反応としては
たとえおもしろくても、突っ張って「つまんねー」「だりー」的な
答えをするのが正しい作法でした(笑)

とはいえ、当時から既に空気の読めない人間だった私は
「いやーおもしろかったねー」と素直にその友人に感想を述べました
するとその友人
「おれ、この映画見たことあるんだよな、だから結末分かってたんだよ」
と、お作法に則りながらも意外な反応
「へー、そうなんだ」
と、私

そのときの会話はそれで終わりました
ふと思い出したのですが、そのとき友人は
見たことある、わかってた、とは言いましたが
「つまらなかった」とは言いませんでした
きっと、映画とは違ったおもしろさを味わっていたんでしょう
今ならその感覚が分かります

と同時に、
「映画を見てから舞台を見る」場合と
「舞台を見てから映画を観る」場合とでは
感じ方が違うのだろうなぁ、とも思います
冒頭で述べたとおり、残念ながら『初めて』
どちらか一方だけで両方は無理なのです

知らなかった頃には戻れない
ちょっと残念ですが、このことがよりいっそう
一期一会の感慨を深めているのでしょう

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せっかくなので、映画の感想も少しだけ

(たぶん)主人公の陪審員8番(俳優:ヘンリー・フォンダ)の
正義と信念にあふれる行動はもちろん、どなたも惹かれるものがあると思います
私個人的には、陪審員5番の出自に劣等感を持ちながらも
いち早く疑問を持ち、自分の考えを言い切ったところ、
陪審員6番(この映画、人物の名前さえ出てこないのでこういう呼び方になってしまいます(^^;))
のご老人にいたわりと敬意を持っているところが地味ながら強く印象に残っています

それとともに、
もし私自身が同じ状況に置かれたとき
正義と良心に従い冷静に自分の考えを述べられるのかということです
人見知り&対人苦手なわたしだったら、
言い争いが発生し雰囲気が悪くなってしまったら
感情的になって、冷静に話し合いということができるだろうかと

登場人物たちは何度も争い衝突し、それでも決裂することなく
最期には「全員一致」という結果を出しています

陪審員8番の強さは正義と信念の強さ
そして、最初に意見を変えた陪審員9番のご老人は
支える事、優しさの強さなのだと思いました
ほんの少しでも、彼らのような強さを持っていたいと思います

地味ですが、大人のおもしろさのあふれたこの作品
機会がありましたらぜひ一度ご覧になってください

3 人のご厚意をいただきました

貼り付けた笑顔

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さくさくさく・・・と
りんごのへたの部分を削りだして
りんごの本体へ差し込む
より一層りんごらしくなります

みっつよっつと、
でき上がったばかりのりんごが並ぶと
しあわせを感じてしまいます

でも完成してしまうと
お嫁に出してしまわなければなりません
目の前に並ぶ姿は、ほんのいっときだけ

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普段から一人で仕事をしているので
刺激に乏しい毎日です

ラジオをつけなければ
情報さえも入ってきません
気分転換と、頭脳の未使用領域の活性化を兼ねて
休憩時間はもっぱら読書の時間です

図鑑だったり、小説だったり

平日、午後3時頃
読んでいた小説の主人公は学生時代を回想していました
この人もおんなじ様な苦労をしているんです

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今日は、たまには仕事のことを書こうと思ったのですが
6月特有の気持ちの不安定さと
読んでいた文章の中の人物の姿と
そんなものが相まって
まあ、避けて通れないお話
書かずにいたら私という人物を
過大評価してしまう恐れもあります

先日、書きかけのまま放置していた話題をひとつ
『人見知りさんの考察』

先天的なひともいれば、後天的なこともあるでしょう
私の場合は、先天的な素質と後天的な環境でしょうか

小学校の頃は、周りといっしょに何不自由なく暮らしておりました
中学に上がり、人数の激増と環境の激変についていけず
灰被りの時期を経験しました

そうして醸成されていった人格形成の過程において
まず身に付けたことは
目立たないように
目立たないように
ひたすら目立たないように

集団の中でいかに埋没して生きて行くか
積極的に関わらなければ
不必要に傷つくことも無い
正しさはいらない
話しかけるに足るメリットさえ持たなければ
干渉されることも無い

必要最低限のことだけ
こなしていればそれで十分

その頃の私は
いつでもどこでも
「話しかけるなオーラ」を放出していました

高校に上がるときには
すでに気持ちは労働者へと向いていました
親の勧めでいい加減に受けた試験に合格してしまい
嫌々通う学校には楽しみなど微塵もありませんでした

学校というのは、特殊な空間で
この特殊さは、職場や組織
そういったところでも時々目にします

おかしなことに
人の集団というのは
「いいひと」だけでは維持できないのです
必ず打楽器的な立ち位置の人が必要になってしまうのです
いわゆる、頼もしいリーダーよりも
共通の敵、が必要とされてしまうのです

残念ながらわたしの経験の中に「いいひと」だけで
維持できているコミュニティはありませんでした

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灰被り暦が長くなってくると
たまに、良い人に出会ったときの
対応に困ります

・・・相手の笑顔の裏を読んでしまう
・・・・交渉に打算が付いて回る
・・・・・いつでも心が晴れやかでない

灰被りの後遺症は、時々こうして顔を出します

ココロの水遣りは自分でしかできません
自分で気がつくしかないのです

現在では、当時を客観的に見ることもできます
なるほど、
当時思っていたのとは違い、
誰とも関わらない一匹狼は
意外と目立つという事実に(笑)

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会話に積極的な人を観察してみます

実際のところ、
それほどたいした話題を振っている訳でもありません
話し方などは若干幼稚さも見られるほど
それでも相手は楽しそう

ふむん、
これくらいなら自分でもできそう

知的な話題
流行の話題
ユーモアに富んだ話題

それらはあくまで副次的なもの
自分の発した言葉によって
相手からどう見られるか

人見知りの人は
要は、考えすぎているだけなのでしょうけれど
それでも気にしてしまうのは
どうしようもないこと
だって今までそうしてこなかったから

経験の絶対的な不足は
時間をかけて解決するしかありません

社会人になって
みんなそれぞれ責任を負って
だから以前のように
無下に相手を否定したり
傷つけたりすることは無いでしょう

歳を重ねるごとに
いろんな皮を被っていることを自覚します
でもそれは、決して望んで被っているものばかりではないはず
そうしないと生きてこられなかったから

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狼は、もともと集団で生活する生き物なので
一匹狼でいるとそのうち分離不安で衰弱死してしまうそうな
かっこ良さげな響きとは裏腹に、なんだか気の毒な感じさえします

人見知りさんは
きっと人一倍、気遣い屋さん
相手に迷惑かけたくないから
自分が我慢して済むならそれで良い

たまには、迷惑をかけてみよう
そしてかけられてみよう
相手もきっとおんなじ

たまに出てくる
人の善意を食い物にする輩は
いずれ集団から淘汰されるから

「お互いさま」の気持ちをわすれずに
作り笑顔の裏には、きっと
いろんなつらいことや悲しいことが
一杯詰まっている

明日はきっと笑えますように・・・

5 人のご厚意をいただきました

ハチトラとミニディスク

時には興が乗って、このように一日2本も投稿してしまうこともあります

前回のお話の中で「ぱそ今昔」に触れてしまったため
「書きたい欲」が出てしまいました(^^;)

しかしながら、このネタはじっくりたっぷり書くべき内容なので
今回は廃れた旧いメディアについて、ちょっとだけ触れてみたいと思います

事の起こりは、私が高校生の頃・・・

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私の通っていた高校では、
毎年夏祭りに神輿を担ぐという伝統がありました

お祭り当日、お昼に集合して
あらかじめ借りていた食堂の二階の座敷で
男子生徒たちは半纏に着替えます

その座敷に置いてあった古いカラオケの機械

既に当時は通信カラオケが普及し始めていましたので
当然ながらその機械は引退していたもの

私はその機械の素性をよく知っていたので
(↑うちの父の趣味で、同じ仕組みのカラオケマシンが自宅にありました
買った当時は結構な高機能でキー調整や、なんと採点機能も付いていたのです)

別に興味も無かったのですが
同級生達は、なにやら不思議そうに眺めていました
そして、

「でっけーカセット」
と、驚いたように声を上げたのです

私 「なに?お前らハチトラ知らないの??」
みんな「しらねーよ!」

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・・・・一般常識だと思っていたのに、
その場では私は異端者でした(^^;)

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ハチトラとは8トラックのことで
いわゆる再生専用のエンドレステープです
※録音再生のできる機械も、極わずかあったようです

登場した時代は、カラオケなどのソフトとして多用され
カーオーディオにも使われるなどしました

古いメディアだと思っていましたが、
なんとカセットテープよりも後発(新しい!)とのこと

構造的に巻き戻しができないため、
頭出しには早送りを使用します
モノラル録音トラックが8つ
1曲に2トラック使う(ステレオ又は音声多重)場合は4曲
モノラル録音なら8曲入るという仕様で
ミュージックテープの一時代を築きました

しかしながら、その構造は結構強引で
イメージ的には、ロールペーパーを「内側から」引っ張り出して
回転させている、という感じで当然ながら故障も多く
程なくして衰退したようです
子どもの頃、試しに分解してみたら
元に戻せなくなったことがあります(^^)

ちなみに、うちにはカセットテープを
ハチトラデッキで再生するための変換アダプタという
珍妙なものまでありました

その後、ミュージックテープは今でも使われている
「カセットテープ」が主流となりました
私の世代だと「ハイポジ ⇒ HighPosition」という単語に
反応する人も多いでしょう

その後、再生専用ながら「CD ⇒ コンパクトディスク」が登場し
これは現在でも主流となっていますね

そしてその後は、データフォーマットという仕組みが
一般化して、様々な媒体にデータとして記録する
というように進化して行ったのですが

その狭間にあったのが
「MD ⇒ ミニディスク」
というメディア

当時としては画期的、かつ高音質だったのですが
それまでの概念とはかなり違う上に
そこそこ値段も張っていたため

これは普及するんだろうか?

と、ちょっと疑問を持ったりしました

ですが、高音質でありながらサイズが小さく
何より自分で手軽に編集できて曲名まで付けられる
という仕組みのため
カーオーディオは当然MD
というほど普及した時期もありました

自分なりのベスト版を作って
友達に聞かせたりプレゼントしたりということも
流行っていたようです

その後は、
「 MP3 」というデータで記録するという
新概念が普及したため、メディアの進化は
ひとまず落ち着きを見せています

MDは、今ではほとんど見られなくなり
絶滅危惧種といった感じですが
意外なのはカセットテープで
年配の方など今だに使っている人が結構いるみたいで
これはおもしろい対比だと思います

かつて、「レコード」を置いていたお店にはCDが並び
やがて配信に取って代わられると、お店そのものが
無くなってしまうかもしれません

かわってゆくものもあれば
続いてゆくものもあり・・・・・・
やがて忘れられるものもあるかも

でかいカセットを見つけたら
「なんだこれ?」とは言わずに
「ハチトラだよ」と教えてあげてください

たぶん、年齢がばれると思います(^^)

2 人のご厚意をいただきました

お手にとってご覧ください

私も最近になって買い物にネットを活用するようになりました。
実はいままでネットショップというものを若干敬遠していたのです。

パソコン自体には、それなりに理解を持っているほうだと思いますし
仕事にもPC/ネットは大いに活用しております

ではなぜ敬遠するのか?
あるいは、根っこの部分にまで理解が及んでいるせいで
むしろ信用していないのかもしれません(^^;)

以前は「ネット」というざっくりした呼び方ではなく
「○○サーブのパソコン通信」という呼び方をしておりました
ちなみに、通信機器もモデムですらなく「カプラ」の頃です(^^;)
しってます?カプラ
(多分、インターネット世代の人は大部分が知らないでしょう)

残念ながら、カプラ時代のパソコン通信は、私も実際にやったことは無いのですが
雑誌などで通信している写真を見ては胸をときめかせていたものです。
とても信じられないでしょうが電話の受話器を
「窪みが2つ付いた機械(←これがカプラ)に乗せて接続するのです

受話器からは
「ぴーーーがーがーがががっがーーがぴーがー」
という音がします(^^)

その音をカプラが拾ってデータのやり取りをするのです
なんてアナログな!
でも、当時はこれが普通だったのです

・・・・はっ!?いけない
このままでは今日の話題が「ぱそこん今昔物語」になってしまいそうです

ネット通販の話です、今日は

そんなわけで、以前はネットというものは
一部の識者と好事家だけのもので
不特定多数のネット初心者があふれていて
さらにその個人情報を狙う悪者の構図というものは
ありませんでした(少なくとも表立っては)

ネットワークに繋がるためにはそれなりの知識を要しましたし
問題があれば自力で解決できるだけの人達が活用しているという
ある意味、特殊な世界だったのだと思います

それが今や、ごく身近にネット空間が存在し
その中でひとつの社会が形成されています
ほとんど、何も考えずにネットに繋がってしまうご時世です

私のように感覚の旧い人間にとって、
実感というか「触感」というか、ナマの感覚が伴わない
やり取りというのは今だに得体の知れないものなのです

そこへ現実の現金を投入するというのが
どうしてもなじめなくて、ましてや
それ自体があいまいな「カードマネー」などを組み合わせようものなら

一体お金ってなんだろうね??
という疑問と不安が常に付きまといます

実際のところ、この不安も「慣れ」の要素が大きく
取引の成立を何度か繰り返すとやがて日常になってしまいます
こんな私でもそうなのですから

最安値を検索して、実際に店頭で買うより安く手に入ると
お得感を感じてしまいます

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でも私の場合、買い物という行為で得るものが
他の人とちょっと違うかもしれません

思い入れのあるもの
買ったらきっと愛着がわくであろうもの
そういうものは、今だに店頭で買うことが多いです

最近の例では(2年前ですが)デジタルカメラ
しばらくの間、安いコンパクトなもので済ませていたのですが
久しぶりに琴線に触れる出会いとなったのが、これ

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私のモデルはブラックです

いわゆる一眼レフよりもぐっと小さなボディに
最先端の性能を凝縮した珠玉の一品(と、私は思っております)
購入資金をためている最中は、雑誌などで情報を読み漁り
使っているシーンを妄想しては呆ける、というちょっと
変態っぽいことまでして気分を高めておりました

街に出て時間のあるときは電気屋に寄り、
展示品を手にとって、シャッター音を堪能し
ちょっとニヤニヤして、また来週、みたいな

そんなことを繰り返して、
ようやく念願かなって手に入れたときは
それはもう、ねぇ?

いつも店頭にあるカメラを見ながら
俺が買うまで待ってろよ!という、
(↑実際手にするのは在庫品だとしても)
買うまでのプロセスまで楽しみたいと思ってしまう人なので

あとは、音楽のCDなんかは買い物プロセスが楽しいものです
今では「配信」なるものが流行っているらしいのですが
私は一度も使ったことがありません

音楽が聴けるだけではやはり物足りなくて
手に触れる感覚、現実感が伴って
初めて満足が得られる気がします

特に、わたしの場合はマイナーなアーティストのものが多いので
ほとんどの場合、お店に並んでいないことが多いのです
それでも、特に下調べ無しでショップに入り
名前を探して歩く感覚が、宝探しのようでとても好きです

有るか、無いか、
多分無いと思うけど、でもあったらうれしい
そうして実際に名前を見つけたときは
もう、それだけでお金を払う価値を見出してしまうほどです

でも、友人などにはその感覚が全く分からないらしく
私がわくわくしながら名前探しのプロセスを楽しんでいる横で
検索機であっさり見つけて「はい」と手渡してくれたりして・・・・

なんてことしてくれるんですかー!!

と、心で悶えてがっかりしながらお金を支払うということも
しばしばありました(←見つかったのに、何故かがっかり)

まあ、これはかなり特殊な例だとは思いますが
でも、音楽CDならジャケットも楽しみたい、とか
洋服なら実際に試着してみたい、とか
手に持って使う道具なら手になじむものを選びたい、とか

買い物の楽しみってそういうところにもあるような気がします
それが愛着につながり、長く愛用することにもなるのではないかなと思います

ものを買うのが買い物、でも買うまでの一連の行為も買い物

安くて手軽、それもいいけれど
ときには、そのものだけじゃない
「実感」に時間とお金をかけてもいいんじじゃないかな
と思っています
作り手としても、ね

1人のご厚意をいただいております